合コンの社会学

Vol.4
- 輝きを失った合コン -


連載4回目にしてこんなことを言うのはなんだが、
最近ぼくは合コンに昔ほどの輝きを感じなくなっている。

なぜだろう?
それはおそらく合コンという社会的「出会い」
の場面がもつ特性に起因していると思うのだ。

その特性とは男女の関係性の発展の幅が非常に限定されて
いるということである。
「彼氏、彼女」か「なにもなし」か。

それはほかの社会的出会いの場面とは大きくちがう。
新学期に学校で出会う友達は彼氏、彼女になるかもしれないけれど
それ以前に「友達」というとってもフレクシブルな関係
をおたがい前提にして出会う。

もちろん合コンで出会ったって友達にはなれる。
だけどめったにそれはない。
なぜならそれが合コンの構成員の「真の目的」
ではないからである。

だからそういう特性による現象・・・
会ったとたんに冷める、とか
一回二人で会って終わり、とか
につながる。

たぶん僕はそこらへんの理由で出会いの場面としての
「合コン」にきらめきを感じなくなっているのでは
ないだろうか。

人間の関係なんて百人いれば百通りの関係がある。
「出会い」とはとっても複雑性に満ちていてあいまいな
ものである。
それが時間を重ねるにつれだんだんある方向性
に向かい始め、二人の関係が固定化されていく。

その面白さのほうがぜんぜん輝いてみえるんだ。



1998-11-26-TUE



戻る