だいこんぎり。


- vol.6 -

-孤独に陥るためのメディア-




家にパソコンを置いてからというもの、
ここのところ半年で、
よくメールをするようになった。
メールなんかいらないじゃないかという人もいるかも
しれないが、普段なかなか会えない人や、
社会人の人に連絡をとるにはとっても便利だ。
特に海外の知人との連絡には大活躍である
そのメールだが、
夜遅く家に帰ってきて、新着をチェックしたら
一通もはいっていない日がたまにある。
自分がたくさんメールを出しているのにである。
そうすると何か自分が一人取り残されたような
何とも言いようがなくさびしい気分になる。

そんな状態を哲学者の鷲田清一さんは
著作「普通をだれも教えてくれない」のなかで
「より深い孤独に陥るためのメディア」と表現している。

「留守番モードになんかしておくものだから、
真っ暗な部屋に帰ったとき、
電話になにもはいっていないと、
この世にひとりぼっちで取り残された
ような気分になる。
この世のだれも自分に用はないといった気分になる。
わざわざ落ち込むために買ったんじゃなく、
だれかとつながっていたくて買ったはずなのに。」

まさにそんな状態である。
鷲田さんは続けて、

「ひとはより親しい「ふれあい」を求めて、じつは、
より深い孤独に陥るためのメディアを開発してきたんじゃ
ないだろうか。」

そういえば高校生の時、
まわりに影響されてポケベルを買った時も
そうだったかもしれない。
買ってしばらくはメッセージが入ってくるが、
だんだんと鳴らなくなる。
一人でいる時にわざわざ用もないのに友達に
メッセージをいれるが{ナニシテル?}、
帰ってこなかったりすると余計に寂しくなる。

似たような経験をだれでもしたことがあるんじゃないのだろうか?

ふれあいをもとめているのに、孤独になる。

それを鷲田さんは
「あることをしているつもりで、
じっさいにはまったく正反対のことをしているってことが、
よくあると思う。」
と言っている。

この
「〜をしているのに、その反対になる」
っていうのが僕らのまわりにはけっこうあるんじゃないかと
思えてきた。
「結婚をしたのに不幸せになる」
「大好きなのにストーカーだと思われる。」
「ダイエットしているのに、ふとる。」



1998-11-08-MON



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