だいこんぎり。


- vol.5 -

-ラーメン屋のおやじさん(推定70)のけっこうすごい特技-




誰にでも「いきつけ」の店というものが
一つや二つはある。僕の場合は近所の歩いていける
ずっと昔からあるラーメン屋がそうだ。
もうかれこれ8年ぐらいかよっている。
そこのラーメンを1週間でも食べないと、
食べたくってしょうがなくなってくる。
そんなラーメン屋だ。

さて8年間も通っているのだからそこのおばちゃんとも
近所の知りあいみたいに仲がいいし、
ほとんど全部のメニューを食べつくしたもんだから、
知らないことなんてないと思っていた。
ところが!である
僕はとんでもないことを知らなかったのだ。

僕はいつものようにふらふらっと
一人ですいているそのラーメン屋に入った。
その日はいつも注文を取りに来るおばちゃん
がめずらしくいなくて、今まで一度も注文をとって
もらったことのない、そのラーメン屋を仕切っている
と思われる70くらいのおやじさんが、
水をもって注文をとりにきた。
そのときである。
僕が「らーめん。」の「ら」を言おうとした
その瞬間、おやじさんは手に
持った水のはいったコップを
僕の座った机の端から
僕の目の前にすべらせたのである。
そしてそのコップは僕の目の前でぴたりと
とまったのである。

なにかのCMであったように、
バーのカウンター上をウイスキーをツーっと
滑らせるシーンを思い出した。
いやいやそんなのよりぜんぜんかっこいい。
なぜならここはラーメン屋だからだ。

そんなことを一瞬思って僕は我に返った。
そして平静をよそおって
「らーめん一つ。」
と言ったのである。

ラーメン一筋で生きてきたおやじさん。
おやじさんはごくごくあたりまえに「それ」
をやったんだろう。
失敗して水をつくえの向こうにおっこどして
お客さんである僕に水がかかるなんてことは
考えもしないくらい自信があったのだろう。
おじさんのラーメン一筋人生の片鱗をかいま見た気がする。

以前にも増して僕はそのラーメン屋
が大好きになった。

いつかまたおやじさんの「それ」を見れる
日を夢見て、僕は今日もそのラーメン屋に
通うのである。


1998-11-08-MON



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